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恒久平和を願って

2017/07/31

17.07.31 2017ピースアクションin-Toyama01.JPGのサムネイル画像 17.07.31 2017ピースアクションin-Toyama02.JPGのサムネイル画像

 連合富山は7月31日(月)にボルファートとやまにて、8月1日の富山大空襲の日に向けて、反戦平和への願いを込めたピース・アクションin-Toyamaを開催した。当日早朝には、富山・高岡両地協の協力も得て街宣行動を行った。

 冒頭、土肥事務局長の開会挨拶の後、主催者を代表して、社会活動推進委員会の長副委員長は1945年8月1日深夜(2日未明)の地方都市としては最大規模となった富山大空襲の状況やその後の広島・長崎への原爆投下について触れながら「終戦から72年が経過しようとしている。二度とこのような悲劇を起こさないという思いで本集会を開催する。反戦・平和の大切さを心に刻み、次世代に繋いでいこう」と挨拶した。

 続いて富山大空襲を語り継ぐ会幹事である語り部の佐藤進氏による「富山大空襲の体験」の演題で体験談の講演に入った。

 佐藤氏は、10歳の時に富山市弥生町の実家で空襲に遭い、家族と共に小川に飛び込み、炎から逃れた。自らの戦争体験を後世に伝える活動を行い、また2005年に富山県が始めた語り部派遣事業に協力する戦争体験者として参加されている。

 講演の冒頭、「パワーポイント資料作成の際、平和の尊さ・戦争の愚かさへの思いを込めた」とされ、死者2,700人以上、負傷者約8,000人の犠牲者を出した富山大空襲の行われた経緯をはじめ、その状況について話された。富山市に投下された爆弾は12,740発(東京大空襲に匹敵する焼夷弾を投下)、目標区間は、現在の富山市城址公園付近のエリアで99.5%を焼失した(全国一の燃痍率)。また、富山大空襲の前に、米軍が富山市民に空襲を伝えるビラを空から撒いていたが、ほとんど避難した人はいないと考えられている。また、空襲前には模擬原子爆弾が投下されていた等を説明、その後、空爆後の悲惨な状態について生々しい描写で語られた。

 そして、「戦争の被害は、罪のない人たちにも及ぶ」「8月15日は終戦記念日とされているが、『反省の日』でもある。日本は、被害者であり加害者であるという事を忘れてはいけない。8月1日の納涼花火大会は、戦没者・犠牲者への鎮魂と復興、平和を願って行われている」とされ、「戦争の実相・本当の悲劇を伝え、共に考えていくことが『平和への道』に繋がる。運動を推進し、是非、次世代へつないで欲しい」と訴えられた。

 参加者は、富山大空襲での体験を聞き、核兵器の恐ろしさ・戦争の悲惨さを学び平和への思いを強くした。

 その後、恒久平和への願いを込め、命の大切さ、戦争の悲惨さを語り継ぎ、粘り強く平和運動を推進していくとする集会アピールを採択し、土肥事務局長の閉会挨拶で集会は終了した。

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